薩長土肥No.1
「薩長土肥」とは幕末期が終わり明治時代が始まった時、 時の新政府における主要人物の出身藩を指す。 薩摩(鹿児島)、長州(山口)、土佐(高知)、肥前(佐賀)の4藩の頭文字をとったもの。 確かに明治時代の大物の過去をたどると、 この4藩のいずれかに行き着くことが多い。 ところで、なぜ薩長土肥になったか。 薩長はご存知、維新の立役者になった藩。 自然政権では中枢を担うことになる。 土佐は半年手は維新の主流からは外れるが、 幕末、この藩出身の多くの浪士達が血を流した。 その中から薩長を裏から積極的にサポートしつつ一定の距離も置き、 独自の路線で維新を進める人物達が現れた。 坂本龍馬らがそれである。 結局薩長の武力倒幕路線を出し抜き、 土佐派の平和路線(大政奉還)が政治的に勝利することになる。 こういったことから、「土」も維新後明治政府にて重要な位置を占めるようになる。 では肥はどうだろうか?! 筆者の知識不足かもしれないが、 幕末期のこの藩の政治的な動きや人物がこれといって思い浮かばないのである。 多くの藩がそうであったように、 鳥羽伏見の戦いで官軍(薩長)が勝利し、 官軍の優勢が決まった後、のこのこ官軍側についた。 百歩譲っても政治的に勝ちとはいえない。 しかし明治政府では薩長土と肩を並べるようになる。 なぜか?! ----つづく---- ----- 2009/08/11 23:00 ねるべぇか、。 inオレンチ →掲示板でコメントする |
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