米内光政という人
彼が一体どういう人物なのか、 すぐ出てきた人はなかなか昭和初期の歴史に詳しいと思う。 この人は太平洋戦争終結時の海軍大臣で、 太平洋戦争が始まる何年か前の総理大臣でもある。 総理大臣になる前には海軍大臣もしていた。 この経歴だけを見るとあの戦争を指導したロクデナシ、 と見えるかもしれないが、実はそうではない。 彼は戦争前の海軍大臣時代には、 アメリカとの戦争の種になる外交問題(三国同盟)に終始反対の態度を貫いた。 海軍大臣の米内、海軍次官の山本五十六、軍務局長の井上成美と、 強固な線を作り、 戦争への進行を食い止めていた。 山本五十六というと真珠湾を指導した人なので、 反戦といわれると不思議な感じがするかもしれないが、 反戦的姿勢が強すぎて命が危なかったほど反戦派の軍人だったらしい。 が、山本の話はまた今度。 昭和初期に彼らの担った役割は大きくて、 おそらく戦争への突入をいくらか遅らせたのではあるまいか。 総理大臣就任中も戦争反対の姿勢は変わらなかったが、 陸軍や世論の反感を買い、 内閣総辞職をして一線を退いてしまう。 その後戦争突入から戦争後半までは、 軍事・政治の一線からは距離を置いている。 彼が再び中央に出てくるのは戦争終盤で、 政府が裏で終戦を模索し始めたころ。 予備役から現役軍人に復帰し(これはものすごく珍しい)、 海軍大臣に就任した。 そして終戦への政治的な動きをサポートし、 ついに戦争を終わらせることになる。 戦争終結後、海軍大臣の職が自然に失効してからは、 政府の要職につくことはなく2年強でその生涯を閉じた。 まさにあの戦争対するブレーキのための一生だったように感じる。 彼については昭和史を学ぶと少なからず目にするので、 ずっと興味を持っていたのだが、 知れば知るほどその人物に魅せられてしまう。 ものすごく人間的魅力に富んだ人でもあったらしい。 それにしてもあのような全国的な集団的狂乱の中で、 冷静に彼のような姿勢を貫ける人がどれだけいるだろうか、。 興味を持った人は、 米内光政 昭和史 1926-1945 あたりを読んでみるといいかも。 ----- 2010/01/23 19:38 そろそろ行くか。 in福井駅前ミスド →掲示板でコメントする |
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