アクセルとブレーキ
アクセル的発言とブレーキ的発言とでは前者が好まれる傾向がある。 無知であればこの傾向はよりいっそう強くなると思う。 太平洋戦争から前の昭和史を読んでいるとこれを非常に強く感じる。 対外政策に勇ましい発言(アクセル的発言)をする軍人・政治家・民間人に、 世論が徐々にひきずられていき、 最終的に国全体がある種の集団的狂騒状態になってあの無謀極まりない戦争に突入していった、 というのがあの戦争の一側面であろう。 もちろんあの時代の狂騒的雰囲気にあっても良識あるブレーキ的発言をする人もいるのだが、 時の世論はその正しさがわからない。 本当はこういう熱気の中でブレーキ的発言をするほうがよっぽど勇気がいるのだが、 勇ましい発言のほうがわかりやすくて勇気があるように感じてしまう。 最終的にその「勇ましい発言」に、事情を知った人の良識ある発言・意見は負けてしまい、 数年後に亡国を引き起こしかねない結末を迎えることになってしまった。 これはなにも太平洋戦争に限ったことではなく、 歴史をひも解いてみるといたるところで見られるから、 やはり日本人もしくは人類に共通した性質なんだろう。 遠い昔、幕末。 長州藩が倒幕を掲げて暴発したのなんかもいい例。 武力で幕府をつぶそうという一派を、 知識ある重役連中が必死に抑えようとするが、 勇ましい武力派をついに抑えきれず、 この藩は禁門の変という大クーデタをやらかし、失敗する。 結果長州藩はブレーキ派の予想通り、 潰れたも同然となってしまう。 まぁ、後に明治維新で復活はするのだが、 この暴発でずいぶん有能な人材を失ってしまった。 この「勇ましい発言」は現代においても好まれる傾向があると思う。 そういうのにだまされないように気をつけないと、 いつでも知らぬ間に戦争に向かって進んでいく危険がある、と、 歴史を読むたびに思ってしまう。 追記(2010/11/03) これを書いたのは1年近く前なのだが、 最近起こっている領土問題の両国の情勢なんかみてるとやはりこれを強く感じる。 日本人ではなく、ヒトという動物の特性かもね。 ----- 2010/01/10 19:17 いくかー。 inユトリ珈琲 →掲示板でコメントする |
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コメント
ふむふむ。
ちょっと賢くなった気がしました。
最近では仕事以外のお勉強はしなくなってしまったので
脳みそはだいぶ硬く小さくなってしまっています。
投稿: なみりん | 2010年11月29日 (月) 09時24分
>なみりん
ひさしぶりー!
うれしいコメントをありがとう。
オレも年をとるにつれて仕事の勉強量が増えて、
だんだんそのほかの勉強量が減ってるよ。
投稿: ひ | 2010年11月30日 (火) 12時48分