智頭にて。
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8月15日(木) ■ 戦争を考える ■
兄貴の日記に説教くさい戦争の記事が載ると夏を感じるんだよね、
とわが愚弟に言われたことがある。
そのくらい毎年書いているのがこのネタ。
去年はあまりの忙しさにこの記事を書かず、
このままなし崩し的におしまいになるかとも思われたが、
そうはならない。
今年は書く。
オレにはあの戦争についてすごく不思議に思っていることがいくつかある。
どうして戦争をはじめたのか?
どういう見通しを持って戦争をしていたのか?
上のようなことを筆頭に様々な疑問があるのだが、
その中のひとつに、
なぜもっと早くやめなかったのか、
という問いがある。
例えば。
早く終わっていたら、原爆は落ちなかった。
沖縄であんな悲惨なことも起こらなかったし、
ソ連が攻め込んできてアブナイことになる可能性も減っていた。
続けてたら勝ち戦に転じるかもしれないわけだから、
早くに戦争をやめるなんて選択肢をとらなかったんじゃん?!
と思われる方もいると思うが、そんなことはない。
日本の負けは結構早い段階で濃厚になっていた。
少なくとも終わりの1年は勝ち戦に転じる可能性のない、
やる必要のない戦争であった。
資源を海外から運ばなければならない日本にとって、
制海権による海上輸送路の確保は必須であった。
それなのに日本は開戦半年後にミッドウェー海戦で、
これからの海戦に必要な戦力である主力空母の多くを失っている。
そして終戦の10か月ほど前、レイテ沖海戦でぼろ負けし、
海軍の艦隊戦力は事実上壊滅した。
この時点で残念ながら日本の敗戦はほぼ確定している。
なぜこの後だらだらと戦争が続いたのか、よくわからない。
さらに。
その後、B-29による大空襲が起こった。
これはもはや本土の防空能力がないということを示しているわけなので、
負け確定を象徴するような出来事。
東京大空襲も大阪大空襲も終戦の年の3月に始まっているので、
これを契機に戦争をやめていれば少なくとも原爆は落ちていない。
大空襲は戦闘機の少なさだけが原因かと思っていたが、
調べてみるとそもそも技術的な問題もあったという。
どういうことかといえば、
B-29が飛行していたのは超高高度と呼ばれる高さで、
日本の戦闘機ではその高度に届くのが難しかったという。
もうどうやっても負けである。
しかし、この後半年近く戦争はだらだら続くのである。
これはこの時代の指導者がへぼかった、
と考えるのも1つだが、
それだけではない、と思っている。
戦争というのは始めるのは簡単だが、
やめるのは非常に難しい、という特性を持っている気がするのだ。
これはいろいろな本を読んでいく中で感じたこと。
それを示すエピソードを1つ。
8月15日に玉音放送で戦争にピリオドが打たれたのはご承知の通りだが、
当日これを察知して止めようとしたグループによってクーデターのようなことが起こったことはあまり知られていない。
原爆を2発落とされてもなおそうなのであるから、
戦争をやめるのがいかに難しいかがわかる。
終戦工作に奔走していた時の総理大臣鈴木貫太郎が、
表向きにはずっと戦争続行を主張していたのはちょっと知られたハナシである。
戦争を考えるとき、
「どうやって戦争をやめるか」、
という視点を持っておくことは大切だと思う。
今の日本にも勇ましい強硬論者はたくさんいるが、
この視点も併せ持っている人は少ないと思う。
今年はちょっと焦点をしぼって書いてみた。
ちょっと戦争を読んでみようか、と思ってくれる人が1人でもでればうれしいもの。
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2013/08/16 0:30
いい時間になってしまった。
inオレンチ
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