歴史バナシ

2013年8月15日 (木)

戦争を考える

D130815

智頭にて。


8月15日(木) ■ 戦争を考える ■

兄貴の日記に説教くさい戦争の記事が載ると夏を感じるんだよね、
とわが愚弟に言われたことがある。
そのくらい毎年書いているのがこのネタ。
去年はあまりの忙しさにこの記事を書かず、
このままなし崩し的におしまいになるかとも思われたが、
そうはならない。
今年は書く。

オレにはあの戦争についてすごく不思議に思っていることがいくつかある。
どうして戦争をはじめたのか?
どういう見通しを持って戦争をしていたのか?
上のようなことを筆頭に様々な疑問があるのだが、
その中のひとつに、
なぜもっと早くやめなかったのか、
という問いがある。

例えば。
早く終わっていたら、原爆は落ちなかった。
沖縄であんな悲惨なことも起こらなかったし、
ソ連が攻め込んできてアブナイことになる可能性も減っていた。

続けてたら勝ち戦に転じるかもしれないわけだから、
早くに戦争をやめるなんて選択肢をとらなかったんじゃん?!
と思われる方もいると思うが、そんなことはない。
日本の負けは結構早い段階で濃厚になっていた。
少なくとも終わりの1年は勝ち戦に転じる可能性のない、
やる必要のない戦争であった。

資源を海外から運ばなければならない日本にとって、
制海権による海上輸送路の確保は必須であった。
それなのに日本は開戦半年後にミッドウェー海戦で、
これからの海戦に必要な戦力である主力空母の多くを失っている。
そして終戦の10か月ほど前、レイテ沖海戦でぼろ負けし、
海軍の艦隊戦力は事実上壊滅した。
この時点で残念ながら日本の敗戦はほぼ確定している。
なぜこの後だらだらと戦争が続いたのか、よくわからない。

さらに。
その後、B-29による大空襲が起こった。
これはもはや本土の防空能力がないということを示しているわけなので、
負け確定を象徴するような出来事。
東京大空襲も大阪大空襲も終戦の年の3月に始まっているので、
これを契機に戦争をやめていれば少なくとも原爆は落ちていない。
大空襲は戦闘機の少なさだけが原因かと思っていたが、
調べてみるとそもそも技術的な問題もあったという。
どういうことかといえば、
B-29が飛行していたのは超高高度と呼ばれる高さで、
日本の戦闘機ではその高度に届くのが難しかったという。
もうどうやっても負けである。
しかし、この後半年近く戦争はだらだら続くのである。

これはこの時代の指導者がへぼかった、
と考えるのも1つだが、
それだけではない、と思っている。
戦争というのは始めるのは簡単だが、
やめるのは非常に難しい、という特性を持っている気がするのだ。
これはいろいろな本を読んでいく中で感じたこと。

それを示すエピソードを1つ。
8月15日に玉音放送で戦争にピリオドが打たれたのはご承知の通りだが、
当日これを察知して止めようとしたグループによってクーデターのようなことが起こったことはあまり知られていない。
原爆を2発落とされてもなおそうなのであるから、
戦争をやめるのがいかに難しいかがわかる。
終戦工作に奔走していた時の総理大臣鈴木貫太郎が、
表向きにはずっと戦争続行を主張していたのはちょっと知られたハナシである。

戦争を考えるとき、
「どうやって戦争をやめるか」、
という視点を持っておくことは大切だと思う。
今の日本にも勇ましい強硬論者はたくさんいるが、
この視点も併せ持っている人は少ないと思う。


今年はちょっと焦点をしぼって書いてみた。
ちょっと戦争を読んでみようか、と思ってくれる人が1人でもでればうれしいもの。

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2013/08/16 0:30
いい時間になってしまった。
inオレンチ

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2011年8月15日 (月)

戦争に心す

8月15日(月) ■ 戦争に心す ■
毎年終戦記念日には戦争で記事を書くようにしているのだが、
もちろん今年も書きます。

オレは太平洋戦争に興味を持っていて、
前史やその後も含めてずいぶん本を読んでいる。
戦争に関してはいろいろ思うところがあって、
しっかり学びたいと思っているゆえ。

だいたい、「戦争がいかんこと」というのは別に押し付けられた戦後の価値観ではなくて、
いつの時代も平時の一般の感覚としてみんなが共有しているものなのだ。
にもかかわらず戦争は繰り返されてきた。
なんでこんなことになってしまうのだろう、
というのがオレの素朴な疑問であり、
こいつをあの戦争から学びとれないかというのが、
あの戦争を読むオレの動機のひとつである。

で、戦争を読めば読むほど思うことには、
気を付けていないと現代でも戦争は起こりうる気がするのだ。
あの戦争も軍部やアホ指導者が勝手に始めたといわれるが、
オレはこの説をとらない。
もちろん軍部・指導層の責任が大きいことは否定しないが、
世論の熱狂的な戦争を望む雰囲気があったことを忘れてはいけない。
この世論的エネルギーが戦争へと引っ張っていった側面もかなりあると思う。
今の日本を見ていても時々そういうナショナリズム的なエネルギーを感じることがある。
ヒトというのは自分や自分の属する集団のために、
強気に戦うことを是とするプログラムが本能的にインプットされた生き物なのかもね。

が、世論の大多数は戦争を知らない。
どんだけ悲惨なものか、
やめるのがどんなに大変なものか、
どれだけお金がかかってどれだけしんどいものか。
責任もないので、「腹立つからやっつけてしまえ」くらいの軽い気持ちで戦争を語ってしまう。
だから戦争へ向かうエネルギーというのは無責任に育ちやすい。
戦争に至った背景としておそらくそういう側面もかなりあると思うのだ。

悲しい戦争が起こらないように、
たまーにでいいから戦争について考えたり勉強してみてはいかがでしょ。

なんで毎年こんな記事を書くのかといえば、
オレが生きているうちに悲しい戦争が起こるようなことはだけは絶対避けたいと思っているから。
そういうわけで不人気な種類の記事だが、また書きます。

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2011/08/12 18:50
おなかがすいてきたぞ。
inユトリ珈琲本店

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D110815
神奈川の西のほう。

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2010年12月18日 (土)

忠臣蔵逆恨み論 No.4

12月18日(土) ■ 忠臣蔵逆恨み論 No.4 ■
さあいよいよ討ち入り。
この討ち入りがまた気に食わない。
寝静まった夜更けを狙って武装して討ち入りをしているわけだから、
正々堂々感は全くない。
寝込みを狙った襲撃事件である。
山鹿流陣太鼓を鳴らしてから討ち入ったという説もあるが、
そんならもう少しいい時間に正々堂々と襲撃すればよい。
なんか卑怯な気がするのである。

と、ここまで書いて、
さすがに浪士集団にそこまで求めるのはかわいそうだなー、と思ってきた。
まあ初志貫徹と忠義という意味では、
すごいとは思うし。
なかなかできることではない。

ただ、長々と書いてきた諸々の事情から、
やはりオレはこのお話をどうしても好きにはなれない。

赤穂浪士たちの切腹の後、
吉良家は上野介の息子の当主が切腹させられ、
お家は断絶になったという。
やっぱ、とばっちりでかわいそうな気がするのだ。

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2010/12/11 20:30
つかれたのー。
in福井city

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D101218
今はなき、うちのミニバラ君の若葉。


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2010年12月15日 (水)

忠臣蔵逆恨み論 No.3

12月15日(水) ■ 忠臣蔵逆恨み論 No.3 ■
では、百歩譲って、
赤穂浅野家断絶は実にひどいことだということにしよう。
殿様の仇はどこにあるかが問題になってくる。
果たして、吉良にあるのだろうか。

オレの見解では吉良ではなく、
将軍家にその責があると思っている。
なぜなら、
百歩譲って、吉良と浅野の喧嘩だということにしたとしても、
事件後の処理で喧嘩両成敗の法則を当てはめず、
吉良に対して無罪・お咎めなしの裁定を下したのは幕府だからである。
この件において吉良は一切の得をしていない。
吉良を仇とする唯一の論拠は、
殿様が殺そうとして殺せなかったという、
ただ一点のみ。
殿様の殺人未遂事件が間違った行為であることは、
常識に照らして考えればわかりそうなもので、
これを継承するということはいささかとっぴな発想のような気がするのだ。

じゃああだ討ちするとすれば敵は誰か。
当然、お家断絶という不公平(百歩譲っている)な裁定を下した幕府・将軍である。
しかし、それはさすがに浪士風情では不可能。
そこで現実的な路線で吉良が標的にされたわけである。
あぁ、吉良、かわいそうに。

なぜこう思うかといえば、
お家断絶後、赤穂浪士らは浅野の弟を立てて、
お家の再興のための運動を行っていたのだ。
もしコイツがかなっていたならば、
かわいそうな吉良はおそらく殺されずにすんだ。
もし殿様の遺志を継いで忠臣としてただただ吉良を討つというのであれば、
お家再興運動など起こるはずがない。

そのお家再興運動に「No!」を言ったのも幕府なわけだから、
2重の意味でも敵は幕府ではないかと思うのだが。

次回は当日の討ち入りについて、卑怯論を並べる。

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2010/12/11 19:25
土曜日の午後。
in福井city

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D101215
横浜市内にて。


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2010年12月13日 (月)

忠臣蔵逆恨み論 No.2

12月13日(月) ■ 忠臣蔵逆恨み論 No.2 ■
そもそも忠臣蔵、事件の発端は殿様(浅野内匠頭)が吉良上野介に切りつけたことに端を発する。
しかも江戸城内で。
これは、吉良が相当いやな奴で、ねちねち嫌がらせをして、
たまりにたまりかねた浅野が切りつけたというのが通説となっている。

なんという浅慮であろう。
オレはこの事件で一番悪いのはこの殿様だと思っている。
当時の江戸城内というのは政治と権力の中枢で、将軍の住居でもあるため相当神聖な場所。
今で言えば国会と永田町と首相官邸・公邸が一緒になったような場所なのである。
絶対王政の時代、そんなところで殺人事件を起こせばどんなことになるかわかりそうなものである。
いかに嫌がらせを受けいらいらしようとも、
耐えて耐えて耐え抜くのがトップたる殿様の務めである。

が、彼は刃物で切りつけた。
しかし吉良はやられるだけで応戦しなかった。
早い話が一方的な殺人未遂事件である。
背後にどんな理由があろうとも、
殺人未遂は殺人未遂である。
許されるはずがない。

結果、殿様は切腹、赤穂浅野家は断絶。
領地召し上げ、家来はみんな浪人となってしまう。
まあ当然っちゃ当然の結果なのである。

ちまたでは、
吉良が無罪でなんの罪も受けなかったのがよくない、
といわれるが、
吉良は刀を抜いていない。
そもそも喧嘩になっていないのである。
これは一方的な暴行であり、
吉良に罪を科すのはお門違いだと思う。

まあそんなわけで、
バカ殿様が悪いわけで、
吉良があだ討ちにあういわれはどこにもないと思うのだ。

次回は百歩譲って別の角度から。

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2010/12/11 19:05
土曜が終わる。
in福井city

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D101213
京都にて。

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2010年12月11日 (土)

忠臣蔵逆恨み論 No.1

12月11日(土) ■ 忠臣蔵逆恨み論 No.1 ■
12月もこの時期になると、
テレビや映画で「忠臣蔵」が扱われることが多い。
殿様の無念を忠義の家臣が果たした、
感動の大作である。
ただ、オレはこのハナシがあまり好きではない。
なぜか。

オレはこのハナシ、
どう考えても、偏った考え方による卑怯な逆恨み殺人事件、
にしか思えないのだ。
理由はいろいろあるが、以下の3点が主だったトコ。

・そもそも殿様(浅野内匠頭)が悪い
・恨みを晴らす相手が違う
・卑怯である

各論は次回以降。

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2010/12/11 18:40
お腹がすいてきた。
inマイ・オフィス

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D101211
岡崎市内にて。

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2010年11月28日 (日)

アクセルとブレーキ

11月28日(日) ■ アクセルとブレーキ ■
日本人の国民性なのか、人類共通の性質なのか、
アクセル的発言とブレーキ的発言とでは前者が好まれる傾向がある。
無知であればこの傾向はよりいっそう強くなると思う。
太平洋戦争から前の昭和史を読んでいるとこれを非常に強く感じる。
対外政策に勇ましい発言(アクセル的発言)をする軍人・政治家・民間人に、
世論が徐々にひきずられていき、
最終的に国全体がある種の集団的狂騒状態になってあの無謀極まりない戦争に突入していった、
というのがあの戦争の一側面であろう。

もちろんあの時代の狂騒的雰囲気にあっても良識あるブレーキ的発言をする人もいるのだが、
時の世論はその正しさがわからない。
本当はこういう熱気の中でブレーキ的発言をするほうがよっぽど勇気がいるのだが、
勇ましい発言のほうがわかりやすくて勇気があるように感じてしまう。
最終的にその「勇ましい発言」に、事情を知った人の良識ある発言・意見は負けてしまい、
数年後に亡国を引き起こしかねない結末を迎えることになってしまった。

これはなにも太平洋戦争に限ったことではなく、
歴史をひも解いてみるといたるところで見られるから、
やはり日本人もしくは人類に共通した性質なんだろう。

遠い昔、幕末。
長州藩が倒幕を掲げて暴発したのなんかもいい例。
武力で幕府をつぶそうという一派を、
知識ある重役連中が必死に抑えようとするが、
勇ましい武力派をついに抑えきれず、
この藩は禁門の変という大クーデタをやらかし、失敗する。
結果長州藩はブレーキ派の予想通り、
潰れたも同然となってしまう。
まぁ、後に明治維新で復活はするのだが、
この暴発でずいぶん有能な人材を失ってしまった。

この「勇ましい発言」は現代においても好まれる傾向があると思う。
そういうのにだまされないように気をつけないと、
いつでも知らぬ間に戦争に向かって進んでいく危険がある、と、
歴史を読むたびに思ってしまう。


追記(2010/11/03)
これを書いたのは1年近く前なのだが、
最近起こっている領土問題の両国の情勢なんかみてるとやはりこれを強く感じる。
日本人ではなく、ヒトという動物の特性かもね。

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2010/01/10 19:17
いくかー。
inユトリ珈琲

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D101128
岡崎市内にて。


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2010年11月24日 (水)

彦根城

11月24日(水) ■ 彦根城 ■
先日、ぶらり旅中に彦根城に行ってきた。
お城は結構好きでいろいろなお城を見てきたが、
その中でも彦根城、ナカナカやる。

ご存知の方も多いと思うが、
彦根は井伊家の知行地。
戦国時代井伊家の戦の強さは有名で、
井伊の赤備え(武装品を真っ赤に染めていた)といえばずいぶん恐れられていたという。
幕末に浪士集団に襲われて死んだ井伊直弼もここの殿様。

さすがその武の井伊家の本拠だけあって、
この彦根城、規模がでかいのだ。
本丸のようなお城の建物そのものもよいのだが、
それよりもすごいのが、
城郭とか石垣とか、
お城の敷地全体の偉容ある雰囲気。
歩いているだけで当時の井伊家の持っていた力を感じられる。
気分は勝手に井伊家の一藩士。

おもしろいなーと思ったのが、
この城の見張り場のあった場所から石田三成の居城があった佐和山が見えること。
井伊家とは対照的に戦が下手で弱いことで有名だった徳川の宿敵三成の城があったこの山が、
手を伸ばせば届くほど近い位置にある。
この地を井伊に与え、
この場所に城を作らせたあたり、
家康の意地の悪さを感じてしまうのだ。

お城好き、歴史好きにはオススメの地です。

彦根城【8:30~17:00】

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2010/10/09 16:30
のんびり中。
in青葉台駅カフェ

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D101124
彦根城にて。


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2010年11月 6日 (土)

BC級戦犯と中国

11月6日(土) ■ BC級戦犯と中国 ■
太平洋戦争でアメリカと戦っていたというのは誰もが知っている有名な話だが、
このはるか以前から日本は中国と日中戦争を展開していた。
対アメリカの印象が強すぎて中国との戦争を忘れがちだが。
ちなみ日中『戦争』のイメージが薄いのは、
当時日本・中国両方の大人な事情により宣戦布告が行われなかった(対外的には「戦争」ではなく「事変」という立場をとった)せいもあるかもしれない。

さて、その後。
アメリカにぼこぼこにやられた日本はついに降伏、戦争が終わることになる。
古来からの戦の常で、
勝った側は負けた側の指導者の首を取る。
この時はA級戦犯という名前をつけて「平和に対する罪」というあとから作った罪で、
東京裁判という形だけの裁判をやって、
日本の指導者達の首をとった。

そんなA級戦犯のハナシは有名であるが、
これとは別にB級戦犯・C級戦犯という別の戦争犯罪があって、
日本軍が展開していた各国現地で裁判が開かれ、
多くの人の罪が裁かれたのはあまり有名ではない。
戦争には戦争のルールがあって、
民間人は殺しちゃだめ、とか、捕虜を人道的に扱わなきゃいけないとか、
そういう国際法上の決まりを破った罪で裁くのがこのBC級戦犯。
まあ日本軍の現地高官の命令で相手捕虜を銃剣の刺殺の練習台に使ったりとか、
無意味に捕虜を殺して食べたりとか、日本人の中でもろくでもないことをしていたやつもたくさんいたので、
それらの人たちを罰する戦争犯罪がこのBC級戦犯と思えばいい。

各国でたくさんの戦犯容疑者が検挙され裁判にかけられ、
1000人くらいの人が死刑になったといわれている。
日中戦争を長い間やっていたので、
当然中国でも多くの人がこの戦犯容疑で裁かれたわけなのだが、
実は中国(台湾の国民党ではなく、共産党政権のほう)では連合国で唯一死刑になった人がひとりも出なかった、
というのは知らない方も多いと思う。
もちろん現地の住人でひどい目にあった人はたくさんいて被害者感情はよくなかったらしいのだが、
「殺す」より「生かして反省させ教育して日本に返す」ほうが長い目で見て国益になる、
との判断だったとなんかの本で読んだことを覚えている。

このハナシを初めて知ったとき、
この国はなんてすごいことを考えるんだ、
と感心したのを覚えている。
被害者感情を優先して殺すのはたやすいが、
こういう長い目での国益を優先するのはなかなかできることではない。
こういう発想ができる人が力を握っていることや、
それを通すことができる国家の組織力は、
なかなか手ごわいなー、とも思った。

それから数十年後の現代、
同じ国が起こしている様々な悲しいニュースを見ながら、
ふと、そんなことを思い出した。

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2010/11/06 20:03
お腹すいてきた。
inオレンチ

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D101106
その昔誰からか、
「組織というのは数十年で固くなってしまって、
だめになってしまうことが多い」、
ということを聞いたことがある。
岡崎にて。


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2010年8月15日 (日)

終戦記念日のコラム

8月15日(日) ■ 終戦記念日のコラム ■
今日は終戦記念日。
65年前の今日、あの無謀でよくわからない戦争が終わった。
日本人だけで300万人も死者がでたという。
当時の人口が7000万人ということを考えても、
これはすごい数字だと思う。
あまりにも遠い昔に行われた戦争。
普段はあまり深く考える機会がないので、
オレは1年に1度この時期だけは、
あの戦争についてちゃんと考えようと思っている。

「戦争は悪いこと!!」
というのは平和な時代、誰もが知っている常識のようなもの。
早い話が殺し合いをするわけだし、
その結果戦争が終わってもさえなお長い年月にわたって傷跡が残る。
悪いのはわかりきっているわけさ。
それでも戦争ってのが繰り返されているのはなぜだろうか。
それを学ぶ一番身近な教材が、
65年前に終わったあの戦争だと思う。
悪いとわかっていても繰り返されてきた歴史を見るに、
これからだっていつ起こるかわからない。
平和なときにこそ戦争についてじっくり学んでおかないと、
いざそういう流れになったとき正しい判断ができなくなる。
これはあの戦争を読んだときにオレがよく思うこと。

今日15日は政治家の靖国参拝がニュースになるが、
オレは参拝するしないは大したことではないと考えている。
オレがもし戦死者だったら、
形式的に参拝してくれるよりも、
自分達の失敗を忘れずいっぱい学んでもらって次に同じような犠牲者がでないように考えてくれることのほうが、
何百倍もうれしいと思うだろうなぁ。

なーんてことを考えた終戦記念日コラム。
オレが生きているうちにはこういう悲惨なことは起こらないようにしたいし、
起こりそうなときにちゃんと正しい判断と論の展開ができる知識を持っておきたいもの。

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2010/08/15 12:54
さて、でかけるか。
in横浜別荘

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D100815
のんびりがいいよ、のんびりが。
横浜にて。


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